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土曜の夜に読む物語

毎週土曜日更新

実家に帰る前の夜は、
なぜか少しだけ
眠れない

The Night Before Going Home

実家に帰る前の夜

明日の電車の時間を、
もう一度だけ確かめる。

小さな鞄に、
二日分の服をたたんで入れる。

充電器と、
読みかけの本と、
駅で買うつもりの手土産のメモ。

帰るのは、
年に何度か。

嫌なわけじゃない。
むしろ、少し楽しみでもある。

台所から聞こえる、
あの包丁の音とか。
昔のままの、
自分の部屋とか。

なのに今夜は、
なぜか少しだけ眠れない。

・・・

「最近どうなの」

その一言を、
これまで何度も聞いてきた。

仕事のことなのか、
体のことなのか。
それとも、
別のことなのか。

聞く側に、
悪気がないのは分かっている。

心配してくれているのも、
ちゃんと分かっている。

だからこそ、
うまく答えられない自分が、
少しだけもどかしい。

「まあ、ぼちぼちかな」

そう言って笑う準備を、
鞄と一緒に
しているような気がする。

・・・

玄関を開けると、
時間が少し巻き戻る。

柱の小さな傷。
変わらない湯のみ。
冷蔵庫に貼られた、
色あせたカレンダー。

何も変わっていないようで、
少しずつ変わっていく。

見慣れたはずの背中が、
前より少しだけ
小さく見える。

そのことに気づくたびに、
胸の奥が、
静かに鳴る。

心配をかけたくない。
でも、心配してくれる人がいることに、
救われてもいる。

・・・

帰り道の電車で、
窓の外を眺めながら、
ふと思うことがある。

いつか、
この家に、
誰かと一緒に帰る日が
来るのだろうか。

「この人です」と
紹介する自分を、
うまく想像できない夜もある。

それでいい、とも思う。

誰かを安心させるために、
急ぐものではない。

誰かに言われたから、
始めるものでもない。

自分が、
この人と生きていきたいと
思えるかどうか。
それだけで、いいのだと思う。

・・・

鞄のファスナーを閉める。

明日は、
きっと少しにぎやかな
一日になる。

聞かれたら、
正直に答えてもいい。

答えたくなければ、
笑って、
話を変えてもいい。

どちらも、間違いじゃない。

ただ、
「最近どうなの」の向こうにある、
「元気でいてほしい」
という気持ちだけは、
そっと受け取って帰ってきたい。

・・・

帰る場所があること。

帰りを待っている人がいること。

それは、
当たり前のようでいて、
とても大きなことだと思う。

そしていつか、
自分にも、
誰かの帰りを待つ日が
来るのかもしれない。

来なくても、
それはそれで、
ひとつの生き方。

眠れない夜は、
無理に眠らなくてもいい。

明日の電車で、
少しだけ眠ればいい。

おやすみなさい。
そして、
いってらっしゃい。

SATURDAY NIGHT SERIES

「土曜の夜に読む物語」は、毎週土曜日に一話ずつ更新しています。
眠れない夜のために、静かな読み物を置いていきます。

前回の物語:誰かに「おかえり」と言ってほしい夜

Good night, and a better tomorrow.

この記事には、アドバイスも手順もありません。
眠れない夜に、ただ読んでもらえたらと思って書きました。